大谷吉継
出身は不明

幼い頃から豊臣秀吉に仕え、秀吉に「百万の兵を動かさせてみたい」と言われるほど戦法が優れていたらしい

石田三成と仲が良く、ともに秀吉のもとで働いていました

秀吉が死に、徳川家康に不穏な動きが出てくると
三成は家康に戦いを挑むことに

その際、大谷吉継は石田三成の味方をし、関ヶ原にて散ることになるのでした







大谷吉継さんにインタビュー
ハガクレ

今回は大谷吉継さんです!私、大ファンなんです!

吉 継

そうかそうか。それはかたじけのうござるな

ハガクレ



だって吉継さん、めちゃくちゃ渋いじゃないですか!

もう聞きたいことがいっぱいあるんですよ!インタビューはじめちゃっていいですか?

吉 継

おお。何でも聞いてくだされ

ハガクレ


えっと、まず吉継さんと言えば、出てくるのが親友の石田三成さんですが、本当に仲が良かったんですか?

吉 継



三成か。あいつとは秀吉殿のもとでずーっと一緒に仕事をしておったんじゃよ。

朝から晩まで2人で検地をしたりして楽しく仕事をしておった。

ハガクレ




でも三成さんはガンガン出世していきましたよね?

加藤清正さんとか福島正則さんとかは「何でアイツが?」と妬んでましたけど、ぶっちゃけ吉継さんはどうだったんですか?

吉 継





わしか?わしはそんな気持ちありゃせんよ。むしろ嬉しかったぞ。

しかもあいつは秀吉殿にこのワシのことを色々とお願いしてくれたらしくてな。身分の低いワシが取り立ててもらえたのも三成のお陰じゃ。妬むなどというような気持ちは毛頭ありゃせんよ

ハガクレ


なるほど。ところで聞きづらいのですが、その顔の頭巾はやっぱり皮膚の病気を隠すためですか?

吉 継

おおこれか。今更隠す気はないのじゃが、皆が嫌がるかと思うてな

ハガクレ



ハンセン病ですよね?正直、その病気はずーっと差別されてたんですよ。

現代はそういうことはなくなりました。というより、差別なんてしちゃいけないんです

吉 継


そうかそうか。ワシラの頃より少しは良くなったのかのぉ。じゃがワシはこの病気のお陰で人間として人を見る目を養うことができたのじゃよ

ハガクレ

そうなんですか?

吉 継

ああ。そうじゃ。ワシはあの時の出来事は生涯忘れぬことはできぬ

ハガクレ

どんな出来事なんですか?

吉 継




ワシのこの病気はな、だんだんひどくなってきてな。

そんな頃、秀吉殿のもとに皆で集まる茶会があったのじゃ。ワシの順番になった時、ワシは茶碗の中に皮膚病の膿を落としてしまったのじゃよ

ハガクレ

へぇ

吉 継




泣きたい気分じゃったよ。このワシの膿がたれた茶など誰が飲んでくれようか?さりとて、そんなこと茶会の場で言えるわけもない。

みな膿が落ちたことに気付いておってな。張り詰めた空気が流れたのじゃ

ハガクレ

ふむふむ

吉 継


そのとき、三成が涙ぐんでるワシのところに来よった。そしてワシの手から茶器を奪い取りごくごくと飲み干したのじゃ。そして「おいしゅうござるな」と言ったのじゃよ

ハガクレ

はぁーーー・・・。いい話ですね

吉 継

ワシはな、あの時、三成のためなら命を落としても良い。そう思ったのじゃ

ハガクレ

すごくいい話ですね。だから関ヶ原の戦いの時に三成さんの味方をしたんですね?

吉 継





いやいや最初は思いとどまらせようとしたのじゃ。

相手はあの徳川家康じゃぞ?家康のやり方に不満を持ってるものはいたが、正直勝てる相手ではない。三成は正義感が強すぎるため皆に嫌われておったし、無理だから止めておけと何度も言い聞かせたのじゃ

ハガクレ

そうだったんですか

吉 継






が、三成の決心は固かったのじゃ。

親友にそこまで頼まれ、断ることなどワシにはできんかった。

ワシはその頃病気が悪化し、目も見えなくなりはじめてな。どうせ死ぬなら三成のために死んでやろうと決めたのじゃ

ハガクレ

吉継さんてすごくイイヒトですね

吉 継


当然のことをしたまでじゃよ。三成のやつめ、目に涙を浮かべて喜びよった。わしは本当にこいつを勝たせてやりたいと思った

ハガクレ

そしてあの天下分け目の戦い関ヶ原に突入するんですね!

吉 継


そうじゃ。じゃがアレはひどい戦いじゃった。必死で戦っているのはワシの軍と三成・小西行長・宇喜田秀家だけじゃった。他の武将は動きもせぬ。叩いても叩いても次から次へと敵がわいてきよった

ハガクレ

それは聞いてます。みんな保身のために裏工作しまくってましたからね

吉 継


その中で一番危なかったのが小早川秀秋じゃ。あやつは怪しい動きをしまくっていた。ワシは四つの隊を秀秋が寝返ったとき用に温存させておいたのじゃ。ところがな・・・

ハガクレ

ところが?

吉 継


案の定、秀秋は裏切りよって、ワシは一度はヤツの隊を押し返したものの、今度はワシが温存させておいた四つの隊が寝返りよったのじゃ

ハガクレ

ええー!ひどいですねっ!

吉 継


まったくじゃ。ワシの兵達はただでさえ藤堂高虎の兵と全力で戦って疲れきっておったのに、まさか体力のあまっとる自分の隊にやられるとは・・・

ハガクレ

ほんとひどいですね

吉 継

わしももはやこれまでと悟り、自刃した。そしてワシは自分の首を隠すよう家来に命じたのじゃ

ハガクレ

そうだったんですか・・・。でもなぜ自分の首を隠させたんですか?

吉 継

この醜い顔を晒されとうなかったのじゃよ

ハガクレ

なるほど・・・

吉 継

ちなみにおぬし、三成やワシの息子はどうなったか知っておるのか?

ハガクレ




本当のこと言っちゃいますよ?

西軍は負けました。三成さん・小西行長さんは処刑されました。宇喜田秀家さんはかろうじて助かり、島流しです。大谷さんの2人の息子さんは逃げて命だけは助かりました・・・。

吉 継

ほぉ。そうかそうか・・・。ワシの息子は逃げおったのか・・・。情けないヤツラじゃ

ハガクレ


でもその後、息子さんの1人は大坂の陣という徳川VS豊臣の戦いに出たんですよ!そこで豊臣方について死んでしまいましたが。

吉 継

なんと・・・・。豊臣はどうなったのじゃ?

ハガクレ

残念ながら豊臣家は滅亡しました

吉 継

そうか・・・・。ワシの戦いぶりは少しでも豊臣のためになったのかのう・・・

ハガクレ

でも、吉継さんの娘のダンナさんはすごかったんですよ!!

吉 継

幸村か?

ハガクレ





そうです!真田幸村さんは関ヶ原で負けたので幽閉されちゃうんですけど、大坂の陣に参加して「真田日本一の兵」と言われるくらいだったんですよ!

奥さん、つまり吉継さんの娘さんも「武士の妻としてダンナは戦って死ぬ方が潔し!」とまで言って、吉継さんスピリッツを受け継いでいました!

吉 継

そうかそうか

ハガクレ


吉継さんにしろ、幸村さんにしろ、負けたけど武士としては最高ですよ!現に、何百年もたった今だって語り継がれているんですから

吉 継 そう言ってもらえると、命を賭けて戦った甲斐があるというものじゃよ